犬山焼は江戸時代の初めごろ、犬山市東部の今井に窯を築いたのが始まりと
されています。この今井窯では、瀬戸風の飴色釉(あめいろゆう)や
黒色釉(くろいろゆう)を施し、主に日用品として生産されていましたが、
80年ほどで廃窯してしまいました。
それから20年ほど経ち、犬山市北部の丸山に窯が築かれ、近世犬山焼は
京都や瀬戸、名古屋などから陶工・画工(職人)を招き、「赤絵」を描くように
なりました。また、当時の犬山城主により「雲錦手」とよばれる、桜ともみじを
とりあわせた文様も描かれるようになりました。